FC2ブログ
  1. 無料アクセス解析

私の愛する映画シリーズ 第6回「地球防衛軍」

地球防衛軍 オリジナル・サウンドトラック
1957年12月28日公開
監督/本多猪四郎
脚本/木村武
特技監督/円谷英二
原作/丘美丈二郎
潤色/香山滋
音楽/伊福部昭
出演/佐原健二、白川由美、平田昭彦、河内桃子、志村喬、土屋嘉男、藤田進、小杉義男、村上冬樹ほか

(物語)
富士山麓のとある村で夏祭りが行われていた。その中に天体物理学者渥美譲治(佐原健二)と、その親友白石亮一(平田昭彦)、渥美の恋人であり亮一の妹江津子(白川由美)、亮一の婚約者岩本広子(河内桃子)もいた。夏祭りの最中、突然山火事が起きる。その火は何と地中から噴き出していた。
亮一は何故か広子との婚約を破棄し、村に残る。帰った渥美は恩師の安達賢二郎博士(志村喬)に、数万年前に滅亡したと亮一が推測している遊星ミステロイドに関する論文「ミステロイドの研究」を手渡す。その直後、亮一のいる村に大きな山崩れが起き、村は全滅、亮一は生死不明となる。
調査に向かった渥美の前に、謎の怪物が現れ、麓の町へ進撃を開始した。怪物は防衛隊の手で撃退されたが、その怪物は生物ではなく、地球外の金属で作られた侵略ロボットであった!
さらに安達は月において飛行する円盤群を発見。渥美からの報告を受け、亮一の論文を発表し、調査を開始した。
富士山麓で調査を始めた安達や渥美らの前に謎のドームが出現する。
そのドームからは、何と「ミステリアン」と称する異星人が呼び掛けてきた。
山火事・山崩れ・怪物は全て彼らの仕業であった。
彼らは、数万年前、核戦争により母星ミステロイドを失い、宇宙を彷徨っており、ドームから半径3キロの土地と地球人女性との結婚の自由を要求する。
日本政府はそれを受け入れず、防衛隊にドームを攻撃させるが、ミステリアンドームの発する、強力なガンマー線を含む熱線と宇宙ステーションから現れた円盤の前に全滅。
ここに、ミステリアンの侵略に対向するべく、主義主張・民族の壁を超えた「地球防衛軍」が結成された!

東宝が「ゴジラ」「ラドン」に次いで送り出したのは、超兵器によるSF侵略戦争もの。
小松崎茂先生デザインによる巨大航空戦艦α号、β号、熱線放射器マーカライト・ファープとミステリアンとの大攻防戦が魅力的な作品です。
特に、α号が重量感たっぷりに飛行する姿には、円谷英二監督の、「飛行物への憧れ」を感じます。
巨大な侵略ロボット、巨大な空飛ぶ戦艦などは、後の特撮やアニメ等に多大な影響を与えいるでしょう。
東宝スコープの画面に、勇壮な伊福部音楽、乱れ飛ぶ光線。
今見ても素晴らしい限りで、当時の日本映画界の熱気・イマジネーションが伝わってくるようです。

この様に華やかなSF兵器が活躍する映画ですが、裏には人類の科学誤用への警告、異なる種族間での争いによる悲劇などが描かれています。
自分たちの星を核戦争、即ち科学の誤用・暴走という形で滅ぼしてしまったミステリアン。
これは、決してなってはいけない人類の未来の姿です。
ミステリアンは、科学の使用の仕方を誤り、「自滅」してしまったのですから。
本多猪四郎監督が本作に掲げたテーマが、「科学に支配されるのではなく、人類は理性と知恵でそれをコントロールしなくてはいけない」というものでした。
科学文明を享受するにしろ、使い方は我々人類がしっかりと判断しなくてはミステリアンの様になってしまうのです。

もう一つ私がこの映画で描かれているテーマとして「異なる種族間の対立の悲劇」があると思います。
ミステリアンは、「自滅」という形で、自分の星を滅ぼしてしまいました。
彼らはどうしても定住できる所が欲しい。そして地球に目をつけました。
しかし地球には自分たちと同じ姿をした「人類」という生物が住んでいた…。
地球人類としては、ミステリアンは迷惑な「侵略者」以外の何者でもありません。
ここに、どうしても戦争が発生してしまうのです。
異質な者が、互いの存在を認め合えない故に起こってしまう悲劇…。
最後、息絶え絶えになったミステリアンの素顔が出てくるシーンがあります。
彼らの姿は人間そのものです。
これは意図的にやったものでしょう。
本来は同じような種族なのに、何故争うのか…。
私は、ミステリアンが単純な悪役になっていないのがこの映画の傑作たる所以だと思います。
彼らにだって定住する星が欲しい、結婚もしたい…。
しかしどこにも受け入れてもらえない…。
故に、お互い自分たちの主張を無理矢理通すべく、戦争になってしまう…。
そういった戦争の一面を描いているのも、この映画の魅力の一つではないでしょうか。

こう思うと、本多・円谷コンビ作品のいつまでも古びないテーマには敬服するばかりです。

私の愛する映画シリーズ 第5回「空の大怪獣 ラドン」

監督:本多猪四郎
特技監督:円谷英二
脚本:木村武、村田武雄、本多猪四郎(ノンクレジット)
音楽:伊福部昭
原作:黒沼健
1956年12月26日公開

「ゴジラ」「ゴジラの逆襲」に続く、怪獣スペクタクル映画第3弾です(「『獣人雪男』は?」という突っ込みは無しで)。
この「ラドン」は、私が初めて大スクリーンで観た本多・円谷コンビの特撮映画です。
今年の6月20日(土)、山形県山形市のシベールアリーナで、「山形国際映画祭2009」のプレイベントの「ゴジラを作った男 本多猪四郎特集」の中の上映映画として、「ラドン」が上映され、私はそれを観ることが出来たのです。
今までDVDでしか観られなかった映画だけに、物凄く感動しました。
ただ、DVDの映像より退色しており、あまり状態の良いフィルムではありませんでしたが…。
このイベントについては↓に詳しいレポートが載っております。
http://www.g-tokusatsu.com/kaihou/kaihou156.pdf

(物語)
九州・阿蘇の炭鉱で、殺人事件が起きた。被害者の遺体は、非常に鋭利な刃物で斬られており、人間がやったものとは思えなかった。犯人は炭鉱技師河村繁(佐原健二)の恋人キヨ(白川由美)の兄、五郎(緒形燐作)の仕業とされるが、真犯人は、古代昆虫メガヌロンであった。
河村は、西村警部(小堀明男)らとメガヌロンを追うが、炭鉱の落盤に巻き込まれ、行方不明となるが、その後記憶喪失になった状態で発見される。
河村が発見された後、アジア各地で謎の飛行物体が目撃される。
正体は全く不明であったが、記憶を取り戻した河村の証言で正体が明らかになる。
それは、2億年前に地球に生息していた空の大怪獣ラドンであった!

さて、この作品は初めてのカラー怪獣映画となります(カラー特撮映画自体は同年8月8日公開の「白婦人の妖恋」が先)。
物語は、怪獣とは一見何の縁も無さそうな炭鉱から始まる訳ですが、炭鉱の奥から現れるメガヌロンが、「人知の及ばないところでとんでもない事が起こっている」というのを感じさせます。
地底から現れる怖い怪獣と言ったら、バラゴンにメガヌロンでしょう。
劇場で観るとメガヌロンの鳴き声(?)の怖さは半端じゃないです。
メガヌロンが姿を消した後、陥没、謎の飛行物体の出現と怪事件が相次ぐのですが、そこにも、「現代文明に『何か』別な物」が入り込んできているというのを感じさせます。
そして姿を現すラドン。
それまでの静寂を破るように、飛んで飛びまくり、自衛隊のF-86に追っかけられて西海橋をへし折り、福岡の街を廃墟にしてしまいます。
ラドンとF-86の空中戦は、伊福部昭先生の音楽「ラドン追撃せよ」と共に非常に有名ですが、円谷監督の「飛翔物」に対する拘りは物凄いものがあります。
F-86の飛び方は「見事!」としか言い様がないです。
ラドンはF-86に追いかけられて西海橋をへし折ってしまいますが、西海橋は重量感たっぷりにへし折れてくれます。
ここの描写の細かさが円谷特撮の魅力の一つです。
そしてラドンは福岡に現れます。
ここでは巨大扇風機を使用した衝撃波の描写が素晴らしいです。
瓦1枚1枚が剥がれ、木造家屋は紙の様に吹き飛びます。
ここのスペクタクル描写は、「ゴジラ」と双璧を成すといっても過言ではないです。
ラドンは結局北九州に大被害を与えてしまいます。

ここで注目したいのが、ラドンに全く悪意は無いということなのです。
ただちょっと地上に出てきたと思ったら変なものに追っかけられて、地上に降り立ったと思ったら砲撃を受けて怒って派手に暴れてしまった…。
ラドンの気持ちを代弁すればこんな感じでしょう。
ラドンは本来ならずっと地底で静かに眠っているべき存在でした。
それが、神の悪戯か科学文明の発達した社会に生まれてきてしまった…。
ラドンは最後、自衛隊の攻撃により噴火した阿蘇の噴火に巻き込まれ、命を落とします。
ラドンには何の罪もありません。
しかし人間にとっては「存在そのものが迷惑」なのです。
怪獣だって動物です。生きる権利はある筈です。
ですが、人間の勝手な論理の前に生きる権利を奪われてしまいます。
「存在そのものが人間社会にとって迷惑」という異形の者の悲しみは、この後「バラン」や「ガス人間第1号」などにも描写されます。
後に「キンゴジ」などの脚本を担当された関沢新一先生は、「存在そのものが迷惑」という怪獣の存在を、見事「陽」に転じさせています。

前述した通り、ラドンは阿蘇の噴火に巻き込まれ死んでいきます。
そこで、何とヒロインの白川由美が泣きだすのです。
これは、本多猪四郎監督が、ラドンを慈しんでいた故の描写ではないかと思います。
そして伊福部先生の、ラドンを追悼するのかのような壮大なレクイエム調のエンディング…。
本多・円谷・伊福部トリオの怪獣映画には、怪獣への慈しみが感じられます。
「異形の者への慈しみ」。
この要素は最近の怪獣映画に欠如しているように感じます。
「怪獣への慈しみ」が無くては、怪獣はただ怖いだけのお化け・破壊神のような存在になってしまいます。
ですが、ゴジラもラドンも、感情を持った動物です。
癪な事があれば怒るし、ふざける事もあります。
今度、怪獣映画を作ろうという方にぜひとも申し上げたい!
「ラドン」に描かれた「異形の者への慈しみ」を忘れてほしくないと…。
人類にとっては迷惑な存在な怪獣にだって生きる権利はあるのだと…。

そして、怪獣を好きになる前に動物を好きになってください!

私の愛する映画シリーズ 第4回「ゴジラの逆襲」

ゴジラの逆襲
監督:小田基義
脚本:村田武雄、日高繁明
特技監督:円谷英二
音楽:佐藤勝

私の好きな映画に「ゴジラ」を紹介したので、続編「ゴジラの逆襲」も書かなくてはいけません。
ここではゴジラシリーズという括りではなく、東宝特撮映画という括りで紹介していきます(じゃないと、「キンゴジ」になって、ゴジラの描写が明るくなったことが説明できないのです)。
第1作でゴジラは影も形も無くなり溶かされてしまった訳ですが、この作品では2匹目のゴジラという事でゴジラを再登場させています。
しかも新怪獣アンギラスも登場、ゴジラと戦う訳ですが、これが「キンゴジ」以降開花する怪獣対決路線の幕開けになったのです。
前作では「特殊技術」のクレジットであった円谷英二監督も「特技監督」に昇格しました。
「監督」ということは、特撮でも芝居をさせることが出来る、というのが認められた証ですよね。

本編演出は本多猪四郎監督に変わり、前年の「透明人間」で円谷英二監督と共に仕事をした小田基義監督に変わりました。
監督が変わったせいか、人間描写は何か古臭いなーと思っちゃいます。
避難民の描写も、「お約束」として描写してある感じですし。
しかし、ゴジラが大阪に上陸するまでの緊張感は、また格別です。
ゴジラの上陸を阻止するために灯火管制をするというのがまたリアルです。
ゴジラとアンギラスは真っ暗な大阪で戦う訳ですが、不気味な音楽(PS45-1・58サイクル正回転、PS45-1・62サイクル逆回転)と相俟って、独特の混沌感を感じます。
そして、ゴジラとアンギラスとの戦いに巻き込まれて壊れていく建物の描写が心地良いです。
さらに凄いのが、地下鉄の駅の改札口もミニチュアです。
地下鉄の駅には脱走した囚人が逃げ込む訳ですが、そこに本物の地下鉄の駅が出てきます。
その後、ゴジラとアンギラスが真上の川に落っこちて、川底が抜けて駅に水が流れ込んでくるのですが、そこにすぐ前に出てきた地下鉄の駅の改札口が、今度はミニチュアで出てくるのです。
そこで全く違和感を感じさせない(本物とミニチュア)ところは、本編と特撮との連携に驚かざるを得ません。

ゴジラとアンギラスはいつの間にか大阪城にまで到達。
ゴジラはアンギラスを天守閣ごと堀に押し落とします。
ここの天守閣の壊れ方が実に細かく、倒壊するシーンが実に爽快です。
しかし、残念なことにアンギラスはここでゴジラに殺され(倒されるのではなく)、怪獣対決は終わってしまいます。

後半は、ゴジラを撃退する飛行機乗りのドラマになり、飛行機が大活躍します。
ここでの飛行機の飛んで行く様子、本当に格好良いです。
飛行機に物凄い憧れを持っていた円谷監督の事ですから、飛行機には物凄くこだわっていたのだと思います(そもそも主人公が飛行機乗りという時点で円谷監督としては嬉しくてたまらなかったのではないかと思います)。
ゴジラは一面氷の孤島・神子島に上陸するのですが、氷でゴジラを埋めるというアイデアは秀逸ですね。
何でゴジラがあんな所にいくんだぁー、と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、ゴジラは勝手気ままな怪獣ですから、ちょっと寄り道でもしたくなったのでしょう。

氷でゴジラを埋めるというアイデアは、ゴジラの偵察をしていた主人公・小林(千秋実)の飛行機がゴジラの熱線(白熱光)を浴び、氷山に激突して爆散して雪崩が起こったことで思いつかれます。
ここで小林の訃報を知った小林の同僚・秀美(若山セツ子)が悲しむ様子が、戦争の面影、飛行機乗りの悲哀(?)を感じさせます。
飛行機乗りというのはいつ死ぬか分からない職業でもありますから。

総括すると、この映画の凄いところは、怪獣対決とそれに巻き込まれる人間のドラマいう新たな怪獣映画の新境地を見出したことでしょう。
マニアには不評な映画ですが、この点は評価されるべきだと思います。

で、音楽ですが、「七人の侍」など黒澤映画と係わりの深かった音楽家・早坂文雄氏の弟子、佐藤勝先生が担当しています。
佐藤勝先生はこの映画で初めて映画音楽に携わる事になったのですが、伊福部先生とは違う形で独特の怪獣映画音楽を作っています。
一つの曲を用意し、それを様々な速度でスロー再生にしたり、逆回転させたり…。
はたまたドラやシンバル、ハープの逆回転も用いています。
ドラの逆回転(ドラ-1・ドラ58サイクル逆回転)は、ショック音楽の様な形で使われているのですが、ドラの残響音をスロー、逆回転再生をすることによって上手く不気味な音に仕上げています。
佐藤勝先生のこの映画における音楽の作り方をもっと知りたいという方は、ゴジラサントラBOXを買ってください。
ちなみにサントラBOXの「逆襲」のサントラには、マニアの間では迷曲(?)とされている「ゴジラさん」「うちのアンギラス」も収録されています。
「ゴジラさん」なんかを聴くと、当時の観客はゴジラを「可愛い怪獣」と思っていたことが分かります。
マニアの方は、やたら初代ゴジラや逆襲ゴジラは怖いとか、恐怖の象徴言いますが、当時の観客は動物を可愛がるようにゴジラを見ていたのです(「ゴジラ」公開時に、「何でゴジラを殺したんだ」って苦情がきた、という話があるくらいですから)。
原案を依頼された香山滋先生のエッセイを見ても、ゴジラを殺すのは忍びないと書いておられます。
「ゴジラを殺す、痛めつけるのは忍びない」という視点は、昨今のゴジラ映画からは感じられなくて残念に思っています。

私の愛する映画シリーズ 第3回「大坂城物語」

大坂城物語
監督:稲垣浩
脚本:木村武(馬淵薫)、稲垣浩
音楽:伊福部昭
特技監督:円谷英二
大胆な円谷特撮、伊福部昭の音楽、三船敏郎見たさに観た映画です。内容は意外とあっさりしていて、初見の時は「?」という感じでしたが、3回ぐらい見直して、やっとこの映画のテーマが分かりました。それは後で書きます。
 物語は、徳川秀忠が徳川家康より征夷大将軍の位を譲りうける、という報せに、淀君(山田五十鈴)が怒るという場面から始まる。そして、大坂城のミニチュアを、まるで空撮しているかのように映すメインタイトルがたまらない。メインタイトルが終わると、方広寺鐘銘事件の場面からまた始まる。豊臣家の重臣であり、徳川家にいいように利用された片桐市上且元を演じるのは志村喬、豊臣家の重臣である大野治長は河津清三郎、はまり役ですね。で、大坂に仕事を探しに来ていた浪人・茂兵衛は、ひょんなことから街の人と喧嘩を始めるが、そこで謎の山伏・筒井是界坊が、乳兄弟である薄田隼人正(演じるは何と平田昭彦!)と、その仲間である阿伊(香川京子)を追っかけている所に遭遇。当然の如く三船は2人を助けるわけですが、多勢に無勢、橋に吊るされてしまいます。そこを助けたのは、忍者霧隠才蔵(市川団子)!三船は川に落っこちるが、何故か川のほとりに避難していた阿伊に救出され、「豊臣と徳川との戦を避ける」ための陰謀に巻き込まれる羽目に…。で、その陰謀の首領(?)が、加藤清正の娘である小笛姫。演じるは久我美子。平田昭彦はこの映画での共演がきっかけで久我に一目惚れしたらしいですが、映画を見ると「なるほど」と思ってしまいます。さて茂兵衛は、小笛姫の陰謀に協力し、色々やる訳ですが、結局は、味方と見せかけて徳川に媚びていた船商人・伊丹屋道畿(香川良介)のせいで全て無駄に終わってしまいます。最後、茂兵衛は伊丹屋がポルトガル船から買い、徳川に売り渡そうとしていた鉄砲・弾薬を奪い取り、大坂城の隼人正の所まで運ぶことになります。途中戦場に入ってしまって、万事休すという事態になるのですが、何と三船は鉄砲・弾薬を馬に曳かせて強行突破!何とか隼人正の所までたどり着き、橋を爆破して徳川軍をぶっ飛ばします。この功績で茂兵衛は豊臣家に取り立てられますが、阿伊と共にいずこかへ去って行きます。
 まず三船敏郎の単純無垢な演技が見ていて面白いです。しかしこの映画のポイントは、その三船演じる茂兵衛が陰謀に巻き込まれるうちに、人間の「汚さ」に気づいていくところです。そして茂兵衛は「権力闘争に巻き込まれる虚しさ」を知ります。だから大坂を去っていくのです。香川京子演じる阿伊は、伊丹屋に捕まってポルトガル人に売り渡されそうになってしまっていたりと、ろくな目に逢っていません。でも凛々しくて美しいですねぇ。平田昭彦は実在した豊臣家の家臣・薄田隼人正兼相を演じていますが、顔が顔だし、東宝の空想科学映画で御馴染なので、髷に違和感が…。格好良いのは言うまでもありませんが。久我美子は大変な美しさ。目が見えないのに、伊丹屋が裏切っていたと見破っていたり、伊丹屋にピストルで撃ち殺されそうになると、短刀を伊丹屋の急所に当てるという神業を披露したりと、実はこの映画最強のキャラなのかもしれません。この映画の共演がきっかけで、平田昭彦は久我美子と結婚することになります(仲人は稲垣浩監督でした)

円谷特撮ですが、メインタイトルで実際の城を空撮しているかのような映像が素晴らしいです。
何とこの映画では、撮影所内に大坂城本丸のセットを作っているのです。
しかも大坂城天守閣は、はっきり言って今実際に建っている大阪城よりも本物っぽいです。
また、方鉱寺でのシーンではかなり大胆な合成を使っています。
そして特撮シーン最大の見せ場が、終盤、茂兵衛が徳川軍をは橋もろとも吹き飛ばすシーンです。
コマ送りで見ると分かるのですが、実写とミニチュアの切り替えが実に細かいです。
吹き飛ばされる人間は作画合成と人形を巧みに用いています。
一見すると、実写と特撮の切り替えはさっぱり分かりません。
やはり戦前から色々な研究を積み重ねてきた円谷英二監督は凄いです。

音楽は伊福部昭。諸行無常の感を漂わせるオープニングからメインタイトル(M1,M2)。そしてアクションシーンを盛り上げたアクション・テーマ(M12,M19,M24,M31)。このメロディーは伊福部先生の純音楽「シンフォニア・タプカーラ 第1楽章」の後半部分をそのまま使っています。
 で、この映画のテーマなのですが、「権力闘争に巻き込まれた人間はどう生きるか」というものにあると思います。最初はただの暴れん坊であった茂兵衛も、権力闘争に巻き込まれるうちに、人間の汚さ・意地悪さに気づいていきます。そして「権力なんかより惚れた女と静かに暮したい」と、大坂を去っていく訳です。反権力の考えは稲垣浩監督の作品には多く出ています。この作品の姉妹作と言える「士魂魔道 大龍巻」ではそれが色濃く表れています。ただ製作が急ぎ足だったかどうかは分かりませんが、当時の映画によくある「こってり感」が足りないのが残念なところ。ですが、大好きな映画には変わりありません。ただ戦争の一面を描いた傑作ではあるので、機会があったら観てください(早くDVDかブルーレイ出して!)。

画像はサントラのジャケットです。
東宝ミュージックのHPで注文可能です。
デジタルリマスターで、ノイズなどは一切取り除かれ、演奏風景が浮かんでくるような高音質になっています。
伊福部先生のインタビューも載っています。

私の愛する映画シリーズ 第2回「ゴジラ」

ゴジラ 火災の中を
「私の愛する映画シリーズ」、2回目は、あまりにも有名な「ゴジラ」です。
初代ゴジラを最初に見たのは小学4年生ぐらいの時です。
モノクロの画面に、「ドン、ドン、ドン」と足音が被るメインタイトルにはかなりの衝撃を受けたものでした。
この映画は、どこでも散々語りつくされている感がありますが、私なりの感想を書いていきたいと思います。
「ゴジラ」は大変偉大な映画です。
まず、「特撮の神様」こと円谷英二の名を日本全国どころか海外にまで広めた作品なのですから。
そして、「ゴジラ」という魅力あるキャラクターを生み出したのも本当に偉大なことであると思います。

また、娯楽怪獣スペクタクル映画として非常に完成度の高い作品であると同時に、様々な問題提起をしている作品であります。
この文明社会に地質時代の怪獣が現れたら人間はどう動くのか…。
人類の攻撃を一切受け付けない生物(大自然)の前に人間はどうなるのか…。
核実験を続けていたらどういう事になるのか…。

ゴジラは大変興味深い怪獣です。
劇中のゴジラは、「大自然の象徴」と「水爆の権化」という2つの面が強調されています。
劇中でゴジラを「大自然の象徴」と見ているのが、志村喬演じる山根博士です。
水爆実験にも耐えた、恐るべきゴジラの生命力を解き明かそうとしているのです。
「水爆の権化」と見ているのは宝田明演じる尾形です。
それは「ゴジラこそ、今なお我々日本人の上に覆いかぶさっている水爆そのものではありませんか」という台詞に現れています。
ゴジラは「大自然」でもあり、「科学の暴走(水爆)」の象徴でもある訳です。
しかし、ゴジラはあくまでも大自然です。
水爆にも耐える生命力を持つゴジラを生んだのは大自然です。
放射能を帯びるようになったのは後天的なこと。
それに「ゴジラは水爆の権化だ!」と思っているのは人間ぐらいで、当のゴジラはあくまでも感情を持った、我々人間と同じ生き物であるという描写がされています。
攻撃されれば怒るし、目障りなものがあれば壊す、それがゴジラの性格であると私は思っています。

上に挙げたように「ゴジラ」には様々な観念を見ることができます。
本当に深い映画です。
ただ「キンゴジ」以降のゴジラは、水爆の権化という概念は薄くなり、「大自然である」という部分が強調されるようになります。
それは実を言うと原作者香山滋氏の「ゴジラを水爆の象徴として描き続けると原水爆を容認することになる」という考えからなのです。
また、「水爆の権化」というゴジラの「暗」の部分を強調するのはゴジラの「大自然」の部分を押し潰しかねない、ゴジラが陰気臭いキャラクターになってしまう、観客に愛着を持たれにくいキャラクターになってしまう、という製作者側の危惧もあったのではないかと思ったりも…。

「ゴジラ論」に終始してしまいそうになりましたが、本多猪四郎監督のスペクタクル演出が実に細かいです。
ゴジラが5万Vの電圧線を突破して都心部に侵入してきているのに、まだゴジラは来ないだろうと傍観している市民(消防車が出動する場面にその描写があります)。
実際の自然災害の人間の反応っていうのは、こんな感じなんですよね。

本多監督の演出は、あくまでも第3者からの目線で劇中の事件を描写しているように思います。
それが、個人の感情にやたらに深入りしない、スペクタクル描写に生きているのだと思います。
だから観客はゴジラが暴れている姿を見て「怖い」とも思えるし、「可愛い」とも思える訳です。
今度新作ゴジラを作るなら、この本多演出の巧みさもしっかりと見直してほしいものです。

今回は、自分で描いた初代ゴジラの絵を挿入してみました。
赤く塗ってある部分は「火災の炎が反射している」イメージで描いています。
しかし放射熱線の描写は、個人的には「対象物を爆発させる」よりも、「メラメラと燃え上がらせる」方が好きです。
爆発だと何だか安っぽいですから…。
メラメラと燃え上がっている方が、実際の火災の様でリアリティがあって良いと思います。
プロフィール

ゾンデ5号

Author:ゾンデ5号
鉄道、特撮、アニメ、落語、その他もろもろ色々なものが好きな高校生のブログです。
色々な方面のネタを書きます。
特撮と言っても怪獣映画から戦記映画、SF、時代劇、ウルトラシリーズ、仮面ライダーシリーズ、アニメではタイムボカンシリーズ、新造人間キャシャーン、銀河鉄道999が好きです。
好きな俳優は主に東宝の俳優の方が多いです。
声優では故・富山敬さん、岡本茉利さんなどを贔屓しています。
鉄道では乗ること、撮ることが好きです。
好きな車両は583系、485系、455系、東北新幹線200系、E2系、ED75型機関車などが好きです。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード