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私の愛する映画シリーズ 第9回「宇宙大戦争」

        宇宙大戦争 オリジナル・サウンドトラック
                1959年12月26日公開
                監督/本多猪四郎
                脚本/関沢新一
                特技監督/円谷英二
                音楽/伊福部昭
                パースペクタ・ステレオ(3ch擬似ステレオ)音声

(物語)時は近未来(テロップでは1965年と表記ですが、まだ我々が実現できていない事も沢山描写されているので「近未来」としました)、日本の宇宙ステーションJSS-3が謎の円盤群の攻撃を受け破壊された。その後東海道本線では突如鉄橋が舞い上がり列車が転落するという事件が起き、さらに世界各地で船が突然舞い上がったり、水が竜巻の如く舞い上がるという怪事件が勃発する。
全ては地球侵略を狙う遊星人・ナタールの仕業であった。
人類はナタールが月に地球攻撃の拠点を構えている事を知り、熱線砲を備えた宇宙ロケットスピップ号を送り込んだ。一応ナタールの基地は破壊したものの、ナタールは更に円盤群を増強させ、司令円盤と共に地球に接近。人類はこれを戦闘用ロケットで大気圏外で迎え撃つ!人類の運命は!?

東宝が「地球防衛軍」に続き制作した宇宙SF映画です。
「地球防衛軍」とは姉妹篇になっており、白石江津子、安達博士、リチャードソン博士、インメルマン博士と「地球防衛軍」と同名の人物が登場します(但し役者が同じなのはハロルド・S・コンウェイ演じるインメルマン博士のみ)。
おそらく江津子、安達博士、リチャードソン博士は別人でしょう(今作のリチャードソン博士は、「地球防衛軍」のジョージ・ファネスが演じたリチャードソン博士の息子、という事も想像できますが)。
今回の舞台は富士山麓から宇宙へとスケールがアップし、メカもまた「地球防衛軍」とは違った趣向のメカが見られます。
当時のロケット技術を研究してデザイン、月面着陸などのリアルな描写がなされた宇宙艇スピップ号、スピップ号に格納されている月面探検用メカエアークッション車、そしてパラボラ型熱線放射器など、魅力的なメカが沢山出ます。
メカばかりに気を取られているのもよろしくないので、本編や演出についても。
今回は主演が池部良(勝宮一郎役)、安西郷子(白石江津子役)、とこれまでの東宝特撮映画とは違うメンツになっています。
そのせいかどうかは分かりませんが、「地球防衛軍」と比べるとやや冷徹な感じになっています。
池部良のずっとハメを外さない芝居は、「地球防衛軍」の熱い感じの佐原健二とは対照的ですね(佐原健二演じる渥美は科学者なのに、無謀にもミステリアンドームに侵入してミステリアンに捕まったりと全然科学者らしくありません)。
また「防衛軍」とは違ってナタールの描写は声のみです(月面で一応姿は見せますが)。
ミステリアンと違って感情移入の余地は全く無いです。
後、ナタールに発信器を埋め込まれる土屋嘉男演じる岩村についても言及しなくてはなりません。
「防衛軍」とは違う意味で危ない役(失礼!)を演じた土屋さんですが、電波で操縦されていない時にも調子が悪そうな芝居をしています。
岩村は、勝宮や江津子、安達博士(千田是也)らと共にスピップ号で月に向かうのですが、ナタールの怪電波にやられていることがバレてしまい、スピップ号1号艇(スピップ号は2機で月に行きました)に隔離されるのですが、ナタールの怪電波に操られ、1号艇を爆破してしまいます。
1号艇を爆破した後2号艇も爆破しようとするのですが、その最中に勝宮たちがナタールの月基地破壊に成功、電波は途切れ、岩村は自我を取り戻します。
最後、月を脱出するスピップ号2号艇を攻撃する円盤を岩村は単身熱線銃で撃破していくのですが、その時の岩村の台詞が、「科学戦争はこういう悲劇も起こすんだ」と言っているようで悲しいです。
「勝宮、1号艇を爆破したのは俺だ!宇宙人のロボットにされたんだ!
ナタールに操られた岩村に全く責任はないのですが、それでも岩村は自分の責任だと感じ、責任を取るため、単身月に残り、スピップ号の危機を救い、ナタールの冷線砲に倒れるのでした(死ぬ時の描写が、姿が消え去る、というのが実に悲しいです)。
「戦争の勝利の裏にはこんな悲しい犠牲がある」という現実を見せられているようです。
それはナタールの円盤群が地球に来襲し、戦闘ロケットが迎え撃ち、出撃する、という時のシルビア(エリス・リクター)の描写に出ています。
彼女の恋人と思われる男性が出撃することとなり、彼女にモニター越しに手を振るのですが、シルビアは「お願い、行かないで…」という表情をするのです。
「戦争は恋人との愛情も引き裂く」と静かに言われているようで、短いですが非常に悲しい場面です。
おそらく、これは「防衛軍」にも表れていたのだと思うのですが、本多監督は「戦争は結局は悲劇である」と言いたかったのかもしれません。
また本多監督は、未来戦争の映画でありながら、所々に戦時中を思わせる描写を入れています。
例えばスピップ号発進前のパレード。
須摩洋朔氏作曲の「鬨の声(戦後、「歓声」と改名)」と共にスピップ号乗員は見送られる訳ですが、そこで見送る人々が「バンザーイ!」と叫ぶのです。
初めてこの映画を見た時、このシーンでは「学徒出陣みたいだ」と思った覚えがあります。
観客にリアリティを感じてもらうために、意図的にそうしたのでしょうけど、本多監督はそういう部分(未来世界と過去世界の融合)が実に上手いです。

華々しい特撮シーンに気を取られがちなこの映画ですが、こういう部分にも注目してもらいたいですね。

特撮と言えば、スピップ号の発進シーン、そしてクライマックスの大気圏外での地球側の戦闘ロケットVSナタール円盤のシーンを挙げない訳にはいきません。
まずスピップ号の発進シーンですが、本多監督の丁寧な描写と相俟って物凄く迫力のあるシーンに仕上がっています。
インメルマン博士の「Fire!」という台詞とともにスピップ号は発進するのですが、重量感・スケール感が実に素晴らしいです。
そして大気圏外での「宇宙大戦争」とも言うべきドッグファイト。
光線が乱れ飛びまくるのですが、大変スピード感がある場面となっており、また伊福部昭先生の「宇宙大戦争マーチ(M32)」が大変迫力のある音楽であるので、見る者の突っ込みを許さないシーンとなっています。
その後、ナタールの宇宙魚雷(隕石型のミサイル)が地球に飛来、アメリカのゴールデンゲートブリッジを破壊する、という場面があるのですが、橋の壊れ方が本当に細かいです。
建築物の壊れ方に関しての円谷英二監督の拘りは並ではありません。
宇宙魚雷襲来に続き、司令円盤が東京に現れ、冷却放射線(対象物を絶対零度にし、重力を無にする)を放射し、地上の建物を舞い上がらせていきます。
このシーンでは、ミニチュアには発泡スチロールを使用し、その根元に圧縮ボンベを仕込んで、高圧空気を吹き出す事で、見事な場面を作り上げています。

伊福部音楽も冴えまくっています。
「メインタイトル(M2)」なんかは非常に格好良い、と小学校心に思った覚えがあるのですが、このメインタイトルのメロディーの一部は、東海道線の異変のシーンや、科学センターでアーメッド教授が怪電波を受けるシーンで流れる「危機のテーマ」(M3、M6、M7)と対応している部分があり、伊福部先生の音楽設計を考える上ではちょっと興味深いところです。
そして「宇宙大戦争マーチ」。
「宇宙大戦争マーチ」は、伊福部先生が戦前に作曲した純音楽「吉志舞」、軍部の要請で作曲した「兵士の序楽」「フィリピンに贈る祝典序曲」のメロディーが合体したものです。
特撮映画でいうと「ゴジラ」の「フリゲートマーチ」、「大怪獣バラン」の「自衛隊マーチ」が合体した、言わば伊福部マーチの一つの完成系と言える訳です(さらにこのメロディーは後年の「怪獣大戦争」でさらに発展します)。

本編・特撮・音楽について結構書いてしまいましたが、最後にエンディングの描写についても書こうかと思います。

最後ナタールの司令円盤は撃墜され、円盤も来襲せず、人類は勝利する訳ですが、そこでの喜びは「俺たちは勝ったんだ!」という喜びではなく、「平和が戻ったんだ」という喜びに感じます。
エンディング音楽も「平和」を感じさせるメロディーになっており、決して戦争を賛美するとか、そういう風にはなっていません。
エンディングの描写は、「平和こそが最も大切なものだ」と本多監督が語っているのでしょうかね。
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私の愛する映画シリーズ 第8回「世界大戦争」

1961年10月8日公開 芸術祭参加作品
監督/松林宗恵
脚本/八住利雄、木村武(馬淵薫)
特技監督/円谷英二
音楽/團伊久磨

(物語)
戦争が終わって15年、日本は見事に復興を遂げ、人々は幸せな生活を送っていた。その中の田村茂吉(フランキー堺)一家は、貧しいながらも、妻お由(乙羽信子)や、長女冴子(星由里子)らと共に幸せな生活を送っており、また冴子は笠置丸の乗組員、高野(宝田明)と愛し合っていた。
そんな幸せな市民生活とは裏腹に、世界情勢は不穏であり、遂に朝鮮半島の38度線では核兵器が使われてしまった。ある国では核ミサイルが何故か発射されそうになる。
しかし何とか世界情勢は落ち着く。が、ふとした事からまた戦争が勃発。遂に大陸間弾道ミサイルが発射される事態にまでなり、人類は滅亡に向かっていく。
核ミサイルが飛んでくるという事でパニックに陥る東京の街。田村一家に出来ることは、ただ「最期」を我が家で待つことであった…。

世界平和への祈りを込めて、東宝が総力を挙げて制作した、人類の滅亡を描いた映画です。
この映画は、「核戦争による人類滅亡」を、一般市民の視点から描いています。
幸せな生活を送っていく人々の裏では、「見えない何か」によってその幸せな生活が壊されようとしている…。
そんな恐ろしさをよく描いている映画です。
この映画には悪人は一切登場しません。
誰も人類滅亡を望んでいません。
首相(山村聡)も、田村一家も(そもそも茂吉は人類が滅亡するとは思っていないのですが)、ミサイル基地の軍人たちも…。
ミサイルの発射ボタンを押すミサイル基地の軍人の顔は、「何で押さなくてはいけないのだ…」という表情に満ちています。
戦争とは何の関わりもない、静かに暮らしている人々の生活が、突然断ち切られる…。
松林監督は、この物語に「太平洋の嵐」でも感じられる「静かな怒り」をもって描いています。
結婚して赤ちゃんを産むであろう高野と冴子の未来も、お由に病気療養の為の別荘を建ててあげたいという茂吉の夢も、子どもたちの未来も、核戦争で容赦なく奪われてしまいます。
田村一家は最後、自分の家で「最後の晩餐」とも言うべきなのでしょうか、出来る限りの御馳走を用意して、決して自分の家から離れません。
核戦争で何で自分たちの生活が奪われなくてはいけないのか、という怒りが込められているのです。
その中での乙羽信子の台詞が重いです。
フランキー堺が「嫌な父ちゃんだと思われてきたかな」と言うのに対して、乙羽信子が「後悔する人なら他に沢山いるよ」と言うのです。

晩餐の後茂吉は叫びます。
「原爆でも水爆でも来てみやがれ、俺たちの幸せには指一本触れさせねえぞ!俺たちは生きてるんだちくしょう!」そして、涙を流しながら「母ちゃんには別荘建ててやるんだい!冴子には凄い婚礼させてやるんだ!春江(茂吉の二女)はスチュワーデスになるんだ!一郎(茂吉の長男)は大学にやってやるんだい!俺の行けなかった大学によぉ…。」
抗えない現実に対して市民が出来ること、それは精一杯怒りをぶつけることでした。
何故我々の未来が奪われなくてはいけないのか、何で我々の生活が壊されなくてはならないのか…。
とにかく核戦争の恐ろしさをこれでもかと映画です。

それを盛り上げたのが、円谷英二特撮による、東京が核ミサイルで壊滅、いや消滅するシーンでした。
国会議事堂の上に光が現れ、上空で物凄い光を放ち爆発、そして全ての建物、建てられたばかりの東京タワーも吹き飛ばされます。
そして地面は溶け、溶岩の様になり、その中に破壊された国会議事堂が…。
凄いイメージです。
この映像が、核兵器の威力・恐ろしさを見せつけています。
そしてこの中に田村一家がいたのだと思うと尚更恐ろしくなります。
更には大プールの中の潜水艦からICBMが発射される映像は、実写かと見間違う映像です。
ちなみにこの映画では、円谷英二の最初で最後であろう、ジェット戦闘機同士のドッグファイトが見られます。

東京・ニューヨーク・モスクワ・ロンドン・パリなど、世界各地の都市が壊滅した後、海上に逃れていて助かった笠置丸の司厨長江原(演じるは名優笠智衆!)はこう言います。
「ここにいる皆がコーヒーを飲みたいというように、世界の皆が、生きていたい、戦争は嫌だ、戦争は止めようと言えばよかったんだ」
「人間は素晴らしいもんだが、一人も居なくなるんですか…、地球上に…。」

そして廃墟と化した東京の画面に、この様な字幕が被ります。
「この物語は架空のものであるが、明日起こる現実かもしれない。しかしそれを押しとどめよう!我らすべてが手をつないで…。まだ それが 起こらない中に
戦争を防ぐためには、我々一般市民が声を出さねばなりません。
戦争を起こそうとしている為政者に乗せられてはいけないのです。

現在、冷戦は終結し、核ミサイルが東京に飛んでくる、というのはリアリティの無い話になってしまいましたが、この映画の持つメッセージは普遍的なものです。
「戦争で一番ひどい思いをするのは、幸せに暮らしている一般市民である」と…。
この映画、世界の為政者に見てもらいたいぐらいです。
そして、「戦争は無くせない」などと簡単に言う人にも…。

ちなみにDVDには2chモノラル音声のほかに、当時試験的に導入されていた4chステレオ音声も入っています。
4chだと音楽までよく聴こえ、本当に泣けてきます。

私の愛する映画シリーズ 第7回「ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐」

監督/松林宗恵
脚本/橋本忍、国弘威雄
特技監督/円谷英二
音楽/團伊久磨

松林宗恵監督が亡くなられた、という事で、追悼の意味で、前倒しして、「太平洋の嵐」について書こうと思います。
名女優・上原美佐の引退作品でもあります。
物語については、真珠湾攻撃からミッドウェイ海戦までの、「史実」の話です。
脚本は黒澤明作品でおなじみの橋本忍氏。
「私は貝になりたい」や「日本沈没」のなどの脚本も書いた方です。

真珠湾攻撃に参加することとなった北見中尉(夏木陽介)。奇襲は見事に成功し、故郷に帰ると英雄として大歓迎されます。
許婚の仲の啓子(上原美佐)もおり、彼女とはインド洋での作戦の後に結婚式を挙げる事となるのですが、結婚式の日に、「タダチニカエレ」という電報が…。
北見は啓子と「握手」という形で結婚をし、ミッドウェイ戦線に向かう事になります。
しかし待っていたのは敗戦という辛い現実でした…。

物語は史実に沿っていると言っても、先に書いたように、主人公の北見中尉の視点で進んで行きます。
真珠湾攻撃で奇襲に一応成功し、許婚の人である啓子もいるという幸せな気持ちであり、「五尺の体を祖国に捧げる」とまで言ってしまってウハウハな状態な北見。
しかしミッドウェイの敗戦でそれも一転、戦争の暗黒の一面を見ることになります。

日本が戦争に勝っている時は、北見は戦争がどうだ、などとは考えません。
ミッドウェイにおいて負けて、酷い目に遭ってやっと戦争の現実を知ったのです。
戦争というのは、一見勇ましく見えるものであるが、実は残酷、冷酷、無常なものであると…。
ミッドウェイ攻撃時に、北見は予想もしなかった米軍の猛攻撃に遭います。
そして、上官である友永中尉(鶴田浩二)が戦死、戦友の松浦中尉(佐藤允)は重傷を負います。
さらに容赦なく北見の乗る空母・飛龍に続くアメリカ軍の猛攻撃。
遂に飛龍は持ちこたえられなくなり、北見を含めた生存者は脱出します。
しかし、司令官山口多聞(三船敏郎)と加来艦長(田崎潤)は船と運命を共にすることを決意し、重傷者は梅崎軍医(太刀川寛)と共に船内に残されます。
その中には北見の戦友である松浦もいました。
彼らは船と共に死ぬという運命に一切抗いません。
ただ黙っているのみ…。
ここでの太刀川寛と佐藤允の演技が泣かせます。
もう脱出できる体ではない松浦。
しかし患者を見放す訳もなく、己の役目を全うする梅崎軍医…。
戦争では、己の役目を全うするということは死と隣り合わせであるという現実があります。
そして、傷ついた、戦えない人間は容赦なく見捨てられる現実もあります。

あまりファンの間では語られない、太刀川寛と佐藤允の演技の場面ですが、私はこの場面に、松林監督の戦争への「静かな怒り」を感じます。
戦争が招いてしまった悲しい現実…。
未来がある筈の若者が容赦なく死んで行く現実。
松林監督は、この映画に無常観、儚さという観念を添えました。
最初は勝って陽気なのに、いつの間にか酷い状態に追い込まれるこの映画の物語、まさしく「諸行無常」です。
そして勇ましく戦っている若者も、戦争で呆気なく命を散らしてしまうという儚さ…。
北見はこの現実を見せられ、「これが戦争なんだ」と知るのでした。

しかし帰ってきた北見はそんな「現実」を見せられた故に、九州(?)の航空隊の基地に隔離されます。
そして、生きて帰れそうもないような所に派遣される、という所で物語は終わります。
最後、飛行機に乗った北見は、部下から「祖国の見納めに」と、旋回して祖国を見納めすることを勧められるのですが、北見は、「その必要無し」と返します。
オーディオ・コメンタリーでの松林監督のお話によれば、ここに当時の軍部への精一杯の怒りを込めたそうです。
「戦争の現実」を知った者が居ると、戦意高揚に差し支えが出るから、死ぬような戦場に送ってしまえと…。
若者を容赦なく死地に送る、という事は未来のある若者を「物」として見ていなかった軍部への怒りがある訳ですよね。
北見には愛する母(三益愛子)と妻・啓子が残されているのに…。

「太平洋の嵐」には、そういった戦争への、強い「静かな怒り」が込められています。
ただ声高に戦争反対を叫ぶよりも強い説得力が感じられます。
本当の「怒り」っていうのは声にはとても出せないものです…。

今、我々日本人は、戦争に対する怒りを忘れてはいないでしょうか。
私は、イラク戦争時、世論調査で開戦を支持するという人が半分ぐらいいた事に、小学生ながらに恐ろしいと思いました。
今思えば、支持した人は戦争の現実を知らなかったのかと思います。
そして、戦争で家族や友人を失った人々の、声にも出来ない「怒り」を想像出来なかったのでしょうか…。
我々日本人、いや人類は、関係もない一般市民や、未来ある子どもや若者、色々語り継ぐべきものを持っている老人なども容赦なく殺してしまう「戦争」、そしてそれを引き起こす権力者に対して、「怒り」を感じるべきなのではないでしょうか。

そんな事も考えさせられる「太平洋の嵐」。これからも、人類が続く限り見続けられるべき映画ではないでしょうか。
「太平洋の嵐」に込められた「静かな怒り」「儚さ」「無常観」を語り継ぐのが、私の様な若い世代の義務なのかもしれません。

次回は「世界大戦争」について書こうと思います。

私の愛する映画シリーズ 第6回「大怪獣バラン」

監督/本多猪四郎
脚本/関沢新一
原作/黒沼健
特技監督/円谷英二
音楽/伊福部昭

(物語)
東北地方・岩手県の奥地に、蝶の調査に出かけた杉本生物研究所の所員、河田(桐野洋雄)と新庄(伊藤久哉)が、現地で謎の死を遂げた。同じ杉本研究所の魚崎(野村浩二)と、新庄の妹で新聞記者の由利子(園田あゆみ)、カメラマンの堀口(松尾文人)は、その謎を解明するべく、現地へ向かうが、そこで出会ったのは、「婆羅陀魏(バラダギ)山神」という神様を崇める人々であった。神主(瀬良明)は、奥には入ってはいけない、バラダギの祟りがある、と言う。しかし村の犬が謎の雄叫びに驚き、奥に入り、少年がそれを追いかけてまた奥へ入ってしまう。神主の制止を、「迷信を信じるのですか」と言って振り切り、魚崎たちは少年を探しに奥へ向かう。少年と犬は無事に見つかったが、何と湖から、突如怪獣が現れた。バラダギ様の正体は、中生代の怪獣バランであったのだ!

「ゴジラよりも凶暴、ラドンよりも巨大」と宣伝されるも、地味な怪獣になってしまったバラン。
そして映画自体も地味な存在になってしまいました。
私がこの映画を見たのは小学3年ぐらいの時でした。
兄が近所のビデオ屋からビデオを借りてきたのを見たのです。
私が「バランって本当にいそう」と思ってしまいました。
モノクロの画面に、神秘的な湖、神として祀られていたバラン。
結局のところは東京に行こうかと思うと、羽田空港であっさりとやられてしまう小物(?)でしたが…。
バランの造形は、いかにも「原始怪獣」という風貌でありながら、「バラダギ山神」として崇められているほどですから、鬼のような顔をしているようにも見えます。
とにかく、いかにも「原始怪獣」という造形のバラン、私は大好きです。

さて、ドラマとなると、結構単調で、寝てしまった事もあります(爆)。
バランの攻撃シーンはやたら長いし、羽田空港でのバランVS自衛隊も何だかかったるいし…。
しかし今見返してみると、伊福部先生の特撮映画音楽が完成に近づいているし、「聖域を犯した故に怪獣が暴れる」というストーリーは、後の「大魔神」を思わせます。
音楽に関しては、バランの荒々しくも原始の力強さ、大きさを感じさせるテーマ、自衛隊のテーマ等、ほぼ特撮映画音楽が完成された感があります。
本作のテーマの原形は、戦時中に軍部の要請で伊福部先生が作曲された「兵士の序楽」「フィリピンに贈る祝典序曲」にありますが、このメロディーは「宇宙大戦争」で、これまた戦時中に作曲されていた「吉志舞」のメロディー(怪獣大戦争マーチの原形)と合体、あの名曲「宇宙大戦争マーチ」が生まれるのです。

本作に掲げられているテーマを考えてみると、「人間の傲慢に怒る大自然」ではないでしょうか。
「バラダギ信仰」を馬鹿にし、人間が入っていけないと言われる奥地に入った魚崎たちはこっぴどい目に遭ってしまいます。
文明の名の元に、原子古来からの物を馬鹿にすると、大自然からしっぺ返しを喰らうぞ、というメッセージを私は感じてならないのですがどうでしょうか。

また注目したいのが、「怪獣」という概念が完成されている事です。
これは、このブログのリンクにあります、「ギドラの巣」の管理人の方が書いておられた事なのですが、ゴジラやアンギラス、ラドンは、原始生物の生き残り、という風に人間は捉えているのですが、バランは「常識を超えた生物」となっているのです。
もっともゴジラも「水爆に耐えた恐るべき超生物」という描写はなされてはいますが…。
また、怪獣こそ現代科学では解き明かせない地球の謎ともされています。
最後、バランは照明弾を飲み込むという習性を利用され、特殊火薬が入った照明弾を飲み込まされ、東京湾にてその最期を迎えます。
そこにこのようなナレーションが入るのです。
「永遠の謎という言葉がある。バランこそは永遠の謎であり、永遠の謎に生き、そして永遠の謎を秘めて東京湾にその生涯を絶ったのである」

まず、中生代の怪獣が現在まで生き残っているという謎、また人間の兵器を受け付けない謎…。
現代の科学文明では全く分からない事をバランは秘めている訳です。
それこそ怪獣は「現代の神話」な訳です。
「バラン」で確立された怪獣の概念は、「モスラ」「キングコング対ゴジラ」で開花します。

地味な怪獣映画ですが、「怪獣」の概念を確立したという事に関しては、怪獣映画ファンは評価してもよい部分なのではないでしょうか。

オールライダー対大ショッカー

「仮面ライダーディケイド 劇場版 オールライダー対大ショッカー」、観てきました。

うーん、物凄く頭が痛くなる映画でした。
映像のせいなのか脚本の問題か…。
大ショッカーが何をしたかったのかがさっぱり分からなかったし、後、Gacktの出番、あれ、要りません。
Gacktが嫌いで言っている訳ではないのですが、何であんな場面を入れたのでしょうか(カッコイイ台詞を言っちゃってくれてますが)。
それぐらいだったらお祭り映画に徹してライダーVS大ショッカー軍団の戦いをもっと見せるべきだったでしょう。

ただ痺れたのが1号・2号・V3以下のライダーが集結する場面です。
何と新サイクロンとハリケーンが登場します。
しかもオリジナルの「グォォォォォン」という効果音と共に!
1号の声は藤岡弘、さんによく似た稲田徹さんの声でしたが、あそこが藤岡さんの声だったら私は昇天していたと思います(爆)。
他の昭和ライダーもオリジナルの効果音と共に戦ってくれます。
ライダーマンの掛け声はちゃんと「やぁ!」でした。
まさかスカイライダーのセイリングジャンプが見られるとは…。
でも後には何にも残らない、「また見たい!」と思わせられる映画ではありませんでした。

出来れば見たいのは、異次元(オリジナル、BLACK RX又はJまでが存在する「昭和ライダー」の世界)から1号・2号・V3・ライダーマン・X・アマゾン・ストロンガー・スカイ・スーパー1・ZX・BLACK RX・真・ZO・Jが駆けつけてディケイドを助けるという展開。
それか、出るライダーを絞って1号・2号・V3・X・BLACK RXが駆けつけるなんつう展開でも良いです(ただし声は本人で)。
ただし、それ以前に観客をちゃんと納得させられる脚本にしてください。
「超ウルトラ8兄弟」は本人を揃えましたが、脚本がメタメタでさっぱり燃えられませんでしたから。

お祭り映画でも、脚本がちゃんとしていなくてはいくら1号・2号が出ようが、オリジナルの効果音を使おうが、「いやぁぁぁぁ面白かった!また見たい!」という映画にはできません。

今回のディケイド劇場版も、ストーリー展開が…。
昭和ライダーの劇場版「仮面ライダー対ショッカー」「仮面ライダーV3対デストロン怪人」「仮面ライダースーパー1」でも、30分ぐらいとはいえ、お祭り的要素も見せれば一応それなりに納得のいく物語にはしていたのですから。

後、出来ればオープニングは、主題歌から始めてほしいですね。
「ディケイド」ばっかりの問題ではありませんが、映画はメインタイトルをしっかり聴いてからじゃないと映画の世界に入り込めませんから。
最も私が「メインタイトルから始まる映画」に慣れてしまったからなんでしょうけど(日本映画黄金期の映画はほとんどそうなんですよ)。

さらに、今回の劇場版映画を見ていて、改めて第1作「ゴジラ」や、本多・円谷コンビの特撮映画や、70年代の「東映まんが祭り」を劇場で見たい、という気持ちに駆られました。
映画って言うのはやはり大スクリーンで観るに限る訳で、しかし私は劇場で観た映画で満足感に駆られたのは、精々原恵一監督の劇場版「クレヨンしんちゃん」ぐらいでした(「あっぱれ戦国」「オトナ帝国」とか)。
好きな映画がDVDだけでしか観られないという現状は何だか悲しいし、残念に思います。
新作映画とリバイバル上映が上手く共存できている状態になってこそ、「日本映画の復興」と言えるのではないでしょうか。
最も新作映画がちゃんとしていなければ話になりませんが…。
しかし、最近は実写化やらリメイクが多いのですから、企画としてオリジナルを全国リバイバル上映するというのもありなんじゃないでしょうか。
そんな事も感じさせられてしまった「オールライダー対大ショッカー」でした。
プロフィール

ゾンデ5号

Author:ゾンデ5号
鉄道、特撮、アニメ、落語、その他もろもろ色々なものが好きな高校生のブログです。
色々な方面のネタを書きます。
特撮と言っても怪獣映画から戦記映画、SF、時代劇、ウルトラシリーズ、仮面ライダーシリーズ、アニメではタイムボカンシリーズ、新造人間キャシャーン、銀河鉄道999が好きです。
好きな俳優は主に東宝の俳優の方が多いです。
声優では故・富山敬さん、岡本茉利さんなどを贔屓しています。
鉄道では乗ること、撮ることが好きです。
好きな車両は583系、485系、455系、東北新幹線200系、E2系、ED75型機関車などが好きです。

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